千世倭樓とは

千世倭樓(ちょうわろう)と名付けた理由

「千世倭樓」と書いて「ちょうわろう」と読みます。
「千世」とは千年。「倭」とは「和」の日本であり、和みであり、調和の「和」です。「樓」とは、木を組み重ねた建築物。

「千年の世にも続いていく、調和のとれた世の中の象徴たる建物であれ」との願いを込め、命名いたしました。

安らぎの空間とおいしい料理、おもてなしの心を大切に・・・。

千世倭樓と名づけた理由 日本の伝統建築

書院造りの母屋と総漆塗りの土蔵

日本の伝統住宅建築の本流。
使われている材の見事さは圧巻です。まさに適材適所。
棟梁の技が綿々と生きています。
優美な中にも威厳溢れる建物です。

秋田県旧平鹿郡大森町。大曲の駅からさらに車で50分。出羽山地の東端の丘陵地が、この民家のふるさとです。江戸末期から明治にかけて全国的にも屈指の山林王であった菊池家が自宅として建てたもので、完成には20有余年かかったと言います。使用されている木材は、現在では全国を探しても見つからない素晴らしいものばかり。母屋は東北地方には珍しい書院造り。その隣の二階建ての建物が土蔵です。元々は貴重品の倉庫でした。一歩踏み入れるとそこは息を呑むほどの総漆塗りです。雄大さと繊細さが絶妙の空間です。

※母屋と土蔵は国の登録文化財です。

書院造りの母屋

書院造りの母屋

総漆塗りの土蔵

総漆塗りの土蔵

合掌造りの離れ

合掌造りの離れ

合掌造りの離れ

もともとは茅葺屋根の豪農の家。
豪雪に耐えるたくましさとホッとする懐かしさがいっぱいです。
飛騨山地、富山県八尾町から昭和50年に、移築、補修したものです。

もともと2軒を解体し、一軒に仕上げたため、その規模の壮大さは圧巻です。解体途中に発見された上棟札には「文化元年(西暦1804年)4月吉日、藩助」とあり、江戸時代中期の建築であることがわかります。大黒柱と下大黒を結ぶ梁は一本で約四トン、帯戸と呼ばれる広間と座敷の境戸も、ケヤキの一枚板で作られています。建築材はすべて木組で、一部しゅろ縄で厳重に結ばれている釘を一本も使っていない工法で、その技術水準の高さには驚かされます。

千世倭樓の豆知識

七福神巡りで福を呼ぶ
七福神巡りで福を呼ぶ
お庭には福神様が隠れていらっしゃいます。木陰に、庭石の隣に、燈篭に…。七つ社を回ると縁起を呼ぶという「七福神巡り」をごゆるりと。
こぼすな様
こぼすな様
千世倭棲のトイレの神様です。愛くるしいお顔で、トイレの入口に立っていらっしゃいます。彫刻家、籔内佐斗司氏が作ったものです。
明治のポストから絵手紙を
明治のポストから絵手紙を
建物の外、玄関から出て右手にある懐かしい郵便ポスト。今でも郵便局の方が集めにいらしています。店内には便箋のご用意もございます。
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鈴廣かまぼこの里(箱根・小田原観光)

鈴廣かまぼこの里地図

鈴廣かまぼこの里 お食事処

千世倭樓ちょうわろう

〒250-0032 神奈川県小田原市風祭50 TEL:0465-24-3456